翌日伊勢から名古屋に戻り熱田神宮へ参拝
天候のせいもあり賑やかな雰囲気ではなかったが、
どっしりとした重厚な感じがした。
熱田神宮には大和族の天照大御神と出雲族の素戔嗚尊が共に祀られている。
そして日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と妻の宮簀媛(ミヤズヒメ)はアメノホアカリの子孫と言う事なので出雲族の血を引いている事になる。
アメノホアカリとは天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)は素戔嗚尊の四男とのこと。
最後の神、建稲種命(たけいなだねのみこと)は、日本の古墳時代の人物。建稲種公(たけいなだねのきみ)とも称す。父は尾張国造乎止与命(オトヨノミコト)、母は眞敷刀婢命(マシキトベノミコト、尾張大印岐の女)で、宮簀媛は妹。妃玉姫(丹羽氏の祖大荒田命(オオアラタノミコト)の女)との間に二男四女。息子尻綱根命(シリツナネノミコト)は、応神天皇の大臣。その下の娘志理都紀斗売は五百城入彦皇子(景行天皇皇子)の妃で、品陀真若王の母。更にその下の娘金田屋野姫命(カネタヤネノヒメノミコト)は品陀真若王の妃で、応神天皇の皇后仲姫命及び2人の妃の母。
景行天皇と成務天皇の二代の間、朝廷に仕え、日本武尊東征の際、副将軍として軍を従え、軍功を挙げたとされる。熱田神宮・内々神社・幡頭神社・羽豆神社・成海神社・尾張戸神社・八雲神社などに祭られている。
(以上ウキペディア参照)
日本武尊の東征の帰路、尾張滞在の際に娶られる。日本武尊が能褒野で亡くなると、日本武尊より預けられた草薙剣(三種の神器の一つ)を奉斎鎮守するため熱田神宮を建立した。
『日本書紀』によれば、日本武尊は東征の帰途、尾張へ入り尾張氏の娘宮簀媛を娶って滞在した。やがて近江国の伊吹山に荒ぶる神がいると聞いて、草薙剣を媛の家に残し素手で退治に出かけた。しかし、山道で神が大蛇に化して出現したのを無視したところ、神は氷を降らせて尊を迷わした。このため尊は失神し、山下の泉でようやく正気を取り戻したが、病の身となっていた。そして尊は尾張へ戻るが、媛の家には寄らず、そのまま伊勢国に向かったという。『古事記』にも同様の話を記載するが、美夜受比売を尾張国造の祖とし、倭建命は比売の月の障りをおして交わったという。またその結婚は東国へ向かう途中に尾張を通った時に約束がしてあったとする。『尾張国風土記』逸文の熱田社由来および『熱田大神宮縁起』には、日本武尊が尾張連らの遠祖である宮酢媛命を娶って宿泊した時、剣が神々しく光り輝いたため、宮酢媛命にその剣を奉斎することを命じ、そこで建てたのが熱田神宮であるとされる。
(ウキペディア参照)
私も以前は、この方のように鳥居の真ん中を通っていました。真ん中は神様が通る道なので開けなくてはならないと知ったのは、恥ずかしながら昨年からです。
参拝を終え、熱田神宮前のひつまぶしを頂きました。
平日でしたが沢山の人が並んでいました。
私何を隠そうひつまぶしを頂いたのは今回が初めてです。茶漬けの具は梅、鮭、鱈子以外は食べたことがありませんでした。よって最後に食した、ひつまぶし茶漬けは、初めての味覚。
美味しくいただきました。。
『あつた蓬莱軒』
写真が見つからないのでHPをご覧下さい。
草薙の剣については次号でお話します。
https://www.orangehouse-ginza.jp/