おかげ横丁にある赤福です!
橋の上からカシャと1枚
赤福の庭を見ながらお茶と赤福を頂きました。
赤福の女の子を撮ろうと思ったのですが遠慮しました。
うどんは江戸っ子には甘すぎて私は苦手です。
竹田恒泰さんの神話の館があります。必見です!
松坂牛の串焼きや、饅頭を食し、
酒屋のカウンターで日本酒をぐい飲み🍶
https://www.okageyokocho.co.jp/
赤福はこの川の麓のすぐ上にあります。
再び五十鈴川を越え『いにしえの宿 伊久』へ向かう。
新橋を渡ると左右に日本家屋が立ち並び
何と玄関先にあるのは正月飾りではないですか、
何故この時期にと不思議に思い後で調べてみました。
(15emitさんから勉強させて頂きました)
蘇民将来とは須佐之男命がこの地を通った時、暴風雨に遭って、一夜の宿を富める巨旦将来に頼んだが、断られた。そこで、その兄の蘇民将来の家に行った。蘇民は貧しかったが、情け深い人なので、須佐之男命を暖かく迎えた。
須佐之男命は喜び、そのお礼に「悪病が襲うから、家の周りを茅垣で囲うように」と教えた。翌朝村人はみな死んでいた。
須佐之男命立ち去る時、「悪疫が流行したら蘇民将来子孫家門と書いて門口にはるとよい」と言い残した。
以後この地方では、正月に門口に「蘇民将来子孫家門」の木札を注連縄で飾り、厄除けとするようになった。 (伊勢志摩きらり千選引用)
どことなくモーセの出エジプト記に似てませんか?
玄関の門と横木(鳥居に似ている)羊の血とヒソップで赤いマークを付けた。
その夜にエホバが地上に大祓を行い、印のある家(神の子)は見逃された(過ぎ越した)とあります。
そして神社の鳥居は殆どが赤く染められています。
同時にこの地は大和族が支配するまでは出雲族が支配していたことを意味していると思います。
【いにしえの宿 伊久】
伊久の良いところは何と言ってもこの立地です。
内宮へは歩いて朝参りが出来る距離にあります。
この食事は夜だったか、朝だったか、忘れました。
https://www.hotespa.net/hotels/ikyu/