出雲の玉造温泉に一泊して、一路高速バスで広島へ!
そして船に乗り厳島神社へ向かった!
雨の中、神様の使いの鹿に出迎えて貰いました。
下の写真画像左が厳島神社の御朱印⛩
生憎の雨です!入水した二位の尼と安徳天皇が泣いているのでしょうか?
源義経は果たして英雄でしょうか?
子供の頃の私は弁慶と牛若丸が好きでしたので、死に追いやった頼朝が嫌いでした。
しかし大人になった今、知られざる事実が次々と分かりました。
義経軍は船頭を切ったり、当時としてはご法度の掟破りの戦をしています。
頼朝からは安徳天皇は絶対死なせるなとの命が下っていたとか?いないとか?
本当の所は定かではありません。
三種の神器を抱え幼い安徳天皇と入水する二位の尼。
八咫鏡は箱と一緒に浮かんできたと言われています。勾玉は頼朝が全国から海女さんを呼び寄せ何とか確保したとお話を伺いました。 但し草薙剣(天叢雲剣)は見つからず、現在熱田神宮にある草薙剣はレプリカだそうです。(天叢雲剣のことは熱田神宮編で語ります。)
現在の私は、日本史の勉強を超古代からやり直しています。記紀に限らず色々な一族の子孫である方々の口伝や伝承を伺ったりしています。また各地に残る風土記や、令和の起源となった万葉集等は勉強中です。
口伝や伝承は文字通り口伝えですから、勿論本当かどうかは誰も知る由もありません。現在なら証拠となるマイクロチップやビデオテープ・録音テープが時代的に有る術もなく、そして行き証人がいないのですから。口伝(ロイ)を信じるかどうかはその方次第です。
第82代後鳥羽天皇は三種の神器がないまま即位したと伝えられています。
勿論ここは壇ノ浦ではありません。
何かを訴え掛けたい雨のような気がしました。
天地の水の流れが、私には龍形に見えました。
ここは神楽殿ですかね、
客神社の御祭神が出雲族の素戔嗚尊(須佐之男命)との戦いに敗れ他界した、天照大御神の夫である天忍穂耳命(あめのおしほみみ)を祀っています。何故でしょうか?意味深ですね。
系図には正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)は天照の長男になっていますが、実は夫だそうです。夫を殺された天照は、やがて素戔嗚尊と婚姻します。そして誓約によって生まれてきたのが宗像三神(厳島神社御祭神)です。
反橋(勅使橋)
平清盛は平忠盛の正室ではない祇園の女御の子です。
一説には白河法皇の子を孕んだ祇園の女御を忠盛に嫁がせたと言われています。
下級武士(北面の武士)だった忠盛が一気に出世したのは、これが原因かも知れません。
清盛は幼い頃、院に出入りして後白河天皇と良く遊んだそうです。
臣下の子が天皇の子と遊ぶなんてことは他に理由が見つかりません。