アロハ
私ごとですが、私達は1982年に東条会館にて結婚式を挙げ、
友人達との二次会が遅くまであったので帝国ホテルに一泊し、
翌日からハワイへと新婚旅行に行きました。
オアフ島のシェラトンワイキキ・オーシャンフロント・スウィートルームに宿泊。
現在ではエグゼクティブスウィートと呼ばれている部屋ですね、
部屋も眺望も素晴らしの一言です!
部屋に入ると花束とメッセージ、フルーツとシャンパンが置かれていました。
私達が旅行に出かける直前にホテルニュージャパンの大火災事故があり、
ホテルに付いたら直ぐに非常口と避難経路を確認せねばと意気込み廊下へ、、、
やっちゃいました!田舎もん丸出しです。鍵を持たずに出てしまいました!
日本語に拙い英語とジェスチャーを織り交ぜ何とかフロントでスペアキーを貰い部屋に戻った苦い経験があります。
中日にはカウアイ島へ日帰り旅行。勿論シダの洞窟も行きました。
帰りの飛行機で着陸寸前後方からコロコロ転がってくる物を見た瞬間、
操縦席にドーンとぶつかりドアに穴が!私達は前方の席だったので操縦席が丸見えになりました。何と転がってきたのはヤシの実で、こんなに脆く破損する飛行機があるのかとビックリしたのと、操縦士がアロハポーズしていたので笑って良いのかリアクションに困りました。何とおおらかな人たち、、、
(これは漫才ではありません。事実です。小さな飛行機はハワイアン航空でした。)
https://www.sheratonwaikiki.jp/
為替(¥/$)は確か240円位だったと記憶しています。
当時私は大学生活の3年間で300万の貯金。妻は100万円の貯金。
二人合わせて400万円の軍資金がありました。
一生に一度だからと2人で相談し、旅費には相当かけました。
(2人が貯金していた目的は結婚資金です。)
月日は流れ2007年3月に無事銀婚式を迎え、その年のクリスマス12月25日
新婚旅行に行った思い出のハワイへと旅行に行きました。
この時は長男は既に独立しており次男のみ同行。
数年前に前職の米国研修に参加しており、久しぶりに行ったハワイは素晴らしく次は家族でと決めていました。
その時に宿泊したのがワイキキにあるヒルトンハワイアンビレッジでした。
シェラトンのスウィートルームと違いツインルームで部屋も狭く、
子供はエキストラベッド、しかも東南のダイヤモンドヘッドビューではなく、
西側のヨットハーバービューでした。
※上の写真はラグーンタワーからの眺望です。(まだラグーンプールが出来る前)
前年度はグアム・前々年度は沖縄へ行き、この時迄は長男・次男と家族4人の為、コネクティングルームに宿泊。ゆったりと寛ぐことが出来たので、正直レインボータワーの感想は非常に失望感が大きかったです。旅行会社に出したリクエストも全く通らず。最も、お金を掛けていないので当然と言えば当然です。妻と次男は米国のセレブや日本の芸能人と遭遇して喜んでましたが(汗)
当時は未だ、ヒルトン創業家が経営権を持っていたと思います。パリスがマイジェットでハワイに来て、アーリータワーを貸切、最上階ペントハウスでどんちゃん騒ぎをして、お騒がせセレブとして名を馳せていた時代です。
そんな中、何日目かは忘れましたが、チェックイン時に説明会に行くと100ドルのギフト券が貰える事を思い出し、せめて100ドル位はGETしようと欲張って行ってみることに!
(後から分かったのですがハワイはギフト商法らしいです?)
説明会と言っても全ての方々が個別に営業される仕組みで、その時に初めてコンドミニアムのタイムシエアがある事を知りました。
未だコンドミアムがカリアタワーとラグーンタワーしかなく、両方を内覧し、部屋の広さと眺望に魅せられてしまい、気が付いたら契約書にサインしていました。価格は国産車を購入するくらいの価格です。これはまさにギャップ商法ですねw
私達はこの年から毎年ハワイへ来るようになりました。
マハロ
―続く―