アローハ
『はじめに』(1)ハワイ諸島編ー③歴史(探検家クックとカラニオプウ王)
白人が初めてハワイにやってきたのは1778年のキャプテンテンクックです。
カウアイ島に上陸したジェームズ・クック(イギリスの探検家)一行はマレビト(客人)として大変なもてなしを受けた。
日本で言えば、大和族に乱暴されていた出雲の亀姫を助けた浦島太郎状態だったのでしょう。
酒池肉林の世界です。ハワイの原住民でもエキゾチックな顔立ちの女性は少なからず白人の血が入っているのかも知れませんね?
翌年もクック一行はハワイを訪れ、1ヵ月滞在した後に出向したのですが、運悪く前檣が破損し、補修のためケアラケクア湾(ハワイ島)に戻らなければならなくなった。しかし、ハワイの原住民たちはクックを神だと思っていたため、神の船が破損するわけがないと考え、今までとは違い、歓迎しなかった。クック一行と先住民との間に緊張が走り、最終的にクックは頭部を殴られ、倒れた所を槍で突かれ刺殺されてしまいました。(オプショナルツアーガイドが語る)
私思うのですが、ハワイ原住民の人の好さに付け込み、調子に乗り過ぎたのではないでしょうか、何事も程々が肝心です。
(以下ウキペディア引用)
突然の見たこともない大きな船の到来と、そこに佇む異様な衣を纏う乗組員に先住民は驚きおののいた。新しい海路の発見を目指す一行は同年2月に一旦ハワイを離れ、北西へと旅立った。その後、同年11月にハワイを再訪したクックは、マウイ島とオアフ島の船上調査後、1779年1月17日、ハワイ島ケアラケクア湾へ上陸した。ハワイ島の王であったカラニオプウはクックをロノの化身と錯誤し、ヘイアウの奥に鎮座する祭壇へ案内し、神と崇めた。クックは先住民に神と間違えられる事は何度も経験しており、先住民らが望みそうな振る舞いを演じてみせた。丁度マカヒキの期間であったので、先住民らにより豊穣の神ロノを讃えるその祭が執り行われ、クックらに酒池肉林のもてなしを行う。長い航海で女に飢えていた乗組員らは現地の若い先住民の女を侍らせ、約3週間宴に興じた。2月4日、クック一行は必要な物資を積み込み、北洋へ漕ぎ出したが、カワイハイ沖で遭遇した暴風雨にレゾリューション号のメインマストが破損したため、2月11日、再度ハワイ島へ戻り修繕にあたろうとした。しかし、先住民らは「クックはあまりにも人間的な肉欲を持っている」「ロノ神の乗る船があのように傷つくものだろうか」といった疑念を持ち始める。先住民らが険悪な様相でディスカバリー号のボートを奪い取ろうとしたため、クックはカラニオプウを人質として拘束した。この諍いは乱闘へ発展し、1779年2月14日、クックは4名の水兵と共に殺害されるに至った。
ハワイ島の王であったカラニオプウ
その頃日本はというと、江戸時代。9代将軍徳川家重・10代将軍家治に仕えた老中・田沼意次全盛の時代です。(徳川300年の真っただ中です。)
この後アメリカのペリー来航迄は少し時間が空きます。
―続く―
マハロ
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