令和元年5月5日『端午の節句』に成田山新勝寺にお参りに行きました。
私が毎年必ず参詣する仏閣の一つです。
今回初めて電車で行きました。理由は次のブログで分かります。
天慶三年(キリスト歴940年)成田山開山(平将門の乱平定の平和祈願)
康平六年(キリスト歴1063年)前九年の役:源頼義が本堂を再建。
当時朝廷に盾突いていたのは半独立国であった陸奥の国。
河内源氏の頼義:義家(八幡太郎義家)親子に討たれたのは地方豪族の『安倍一族』です。
因みに現在の日本国総理大臣の安倍晋三さんの祖先だそうです。(ご本人談です)
私は旧宮家の方から安倍さんの祖先は左大臣安倍御主人と伺っていますが、果たして真実は?
治承四年(キリスト歴1180年)源頼朝が平家追討の先勝祈願
平将門も平清盛も当家と縁のある方々です。所謂平氏です。
そして先勝祈願しているのは源氏の棟梁です。いやはや背筋がぞっとしますなー
しかし、だがしかし平氏も頑張ってますぞー
文治四年当家の祖、千葉常胤が本堂を再建しています。
頼朝を旗印に関東の平氏が中央の平家と闘った戦が治承寿永の乱。源平合戦ではありません。
保元の乱も源平入り混じっての戦いです。後白河天皇と崇徳上皇の対立、
藤原摂関家の権力争いに武士が駆り出されただけの話です。(武士の台頭)
平治の乱は後白河上皇派:藤原忠道:平清盛VS二条親政派:藤原信頼:源義朝:源義平が、争った権力闘争。(源平対決と言えばそうですが、清盛は白河法皇の御落胤との説もある)
今でこそ東京を中心に関東が中央ですが、昔は京都大阪が中央です。(所謂東西対抗戦です)
鎌倉幕府の実態は平氏主導です。源氏は頼朝~頼家~実朝の三代で終わっています。
そのあと実権(執権)を握ったのは北条氏(平氏)です。
頼朝を助けた梶原景時も、頼朝が千葉に落ち延びて、
それを助け大軍を擁したのも上総介平広常、下総介千葉常胤の平氏です。
後に北条家の策略に嵌り相模三浦氏、上総介広常は勢力を削がれたり、潰されたりしています。
北条氏が大きくなったのは頼朝の正妻が北条政子であった為です。
当時の勢力からしたら千葉の上総介平広常、相模の三浦義明が圧倒的だと思います。
千葉常胤は頼朝の信頼が厚く広常の所領や全国に領土を拡大し広がりを見せましたが、やがて本家分家の争いや、家臣であった原氏の反乱にあい千葉本宗家は滅亡。
最終的には分家筋も後北条氏から養子を取っています。
この時代は既に鎌倉幕府ではなく京都室町幕府。『将軍家は源氏の足利』です。
戦国時代に突入、栄華を極めた後北条氏も豊臣秀吉の小田原攻めで落城のうえ滅亡。
時代の移り変わりと共に昔の人たちは大変でしたね、、、つくづくそう思います。
現代は戦争でも起きない限り、借金で倒産しても命までは取られないでしょうから、