前回の続き
◇平成バブル崩壊には監督官庁の国土利用計画法に基づく制度。「23区は100㎡超:監視区域制度よる事前届出制」がありました。
何と土地の売買価格を役所が決めていました。日本は社会主義国だったのです。(笑)
売主買主間で価格が合意していても、国土法により届け出が受理されず、取引が成立しないという事が多々ありました。
ましてや、売買契約前の国土法調印には、買主は三文判、売主は実印と印鑑証明付きが必須条件となっていたため、
時間と手間が掛かり過ぎました。私は1物件の国土法の調印だけで、宮城県、群馬県、京都府を回った事があります。
相続で取得した不動産は複数の方が所有することが多く、東京在住の方より地方在住の方が多いと、このような結果になります。
残念ながらこの契約は流れてしまいました。国土法の届出で手間取っている間に、バブル崩壊の前兆が現れた為です。
◇また金融機関の貸し渋り、貸し剥がしには、今まで銀行に依存していた多数の法人が倒産しました。そしてその債権は不良債権となり、
その後、所謂ハゲタカファンドに低価格で売買されたのです。(勿論すべてではありませんが)
銀行も自己資本比率と言う概念が突然出てきて、それに当てはまらない銀行は合併や倒産を余儀なくされました。
いま考えるとこれも米国の圧力だったのかも知れませんね?(日本の含み資産が減少し、その恩恵にあずかったのは米国の筈です。)
バブル崩壊後外資系のファンドや不動産業者は数知れず、私が知っている外資系企業は当時日本の物件を5,000件以上所有していました。
◇そして最後は税金です。スーパー短期と呼ばれる不動産短期譲渡には高い税率が掛けられました。
当時の世論は相続で3代続くと資産がなくなる!平均的な会社員が都内で購入できる不動産がない!
と言うことでバブルは悪とのイメージが定着。
勿論、業者同士の転売が横行し価格を押し上げていたのも事実なので、それらの業者は高い税金を払って当然と言えば当然です。
【以上でお分かりのように、官民あげてハードランディングした結果、その後の日本経済は失われた20年に突入します。】
話は変わりますが、当時東京23区の不動産価格で米国全土が購入できました。
1989年には三菱地所がロックフェラービルを2,200億円で購入し、日本脅威論と共に米国民の反感を買い、
その後のジャパンバッシングに繋がっていきます。
91年には横井英樹氏がエンパイアステートビルディングを4,000万ドル台で落札したと言われています。
最もこれらの原因は87年に米国で起きたブラックマンデーによるもので、日本が故意に買い漁っていた訳ではありません。米国のブラックマンデーによる低迷は、その後、日本のジャパンマネーが世界を席巻していきます。
ディスコのお立ち台が流行っていたのも、丁度この頃です。しかしバブルはそう長くは続きませんでした。
その頃私は新宿にいましたので、バブル前後の価格を把握しています。
平成3年頃、西新宿で一番高値のマンションが坪2,000万円を超えていました。しかし平成12年には坪200万円になっていました。
何と10分の一です。バブル崩壊と共に泡のように消えたのです。
そして現在、同じような事が世界で起きています。それはチャイナバブルとチャイナマネーによる席巻です。
私は、今の米中の貿易摩擦の対立を見ていると平成バブルの時の日米対立によく似た構図に見えます。
果たして中国は日本のように、失われた20年に突入するのでしょうか?
或いは日米対立にはなかった資本主義と共産主義の対立:民族の対立、宗教間の対立があるかもしれません。
そしてそれは解決しようにも解決できないところまで来ているのかも知れません。
この1年間は注意深く見る必要があります。