私は日ユ同祖論者ではありません。同祖ではなく『世界文明は日本から始まった』世界同祖論を信じています。理由は世界各地に広がる太陽信仰と太陽紋(菊花紋)が全てを物語っていると思います。また、世界最古の文明は6,000年前のシュメールが定説ですが、日本の縄文文化は少なくとも12,000年前だと云われています。
(縄文土器=放射性炭素年代測定法)
須佐之男命(シュメールの都市スサの王=スサノオ)は最初に出雲の地に降りたとき清々(スガスガ/すかすか)しいと言葉を発しています。
余談ですが全英女子オープン優勝の女子プロゴルファーである渋野日向子選手は清々しいと言う言葉をしぶこ節で「キヨキヨ」と呼んでいました😋
https://news.golfdigest.co.jp/news/jlpga/article/102958/1/
そして16方位にはスカが付く地名が数多く残っています。アスカ・ヨコスカ(日本)・アラスカ(米国)ナスカ(ペルー)・スカイ島(英国ケルト人居住区)・スカウ(マレーシアのボルネオ島)・スカダナ(インドネシアのマレー系王朝)・スカブミ(インドネシアのパジャジャラン王国)・スカララ(インドネシアのロンボク島)・スカルナープラ(インドネシア)・スカワティ(インドネシアのバリ島)・スカーバラ(英国ノースヨークシャー州)・スカボロ(トリニダードドバゴ)・スカルドゥ(パキスタン)・スカルホルト(アイスランド)・スカングアイ(カナダ)・スカンジナビア(北欧)マダガスカル(アフリカ)と私が知っているだけでもこれだけあります。インドネシアの多さに深い繋がりを感じます。
私の『私説』ナスカについてお話します。
以前南米ペルーのインカ帝国の末裔はテレビのインタビューで下記のような話をされていました。
『インカ帝国第9代皇帝パチャクテクの子孫チャベス氏の話ではインカ帝国を作ったのは日本人だと、子供のころ良く祖父母から聞いていた。』人々は、ケチュア語・アイマラ語など征服した村の言葉を話していたがインカ帝国の王族の間だけで話されていた言葉があり、それが日本語であった可能性がある。
インカ神話の初代クスコ国王『マンコ・カパック』
因みに万人の子と言う意味で万子(マヤ語=日本語)
天皇の鉾と言う意味で朕鉾なのです。
天皇の子供である万人を大切にと言う意味で決して淫語ではありません。
写真はすべてウキペディアより引用
元日本駐在ペルー大使フランシスコ・ロワイサ氏(1912年から10年間日本に滞在)の文献がペルーの国立図書館に保存されていますが、非公開です。この本のサブタイトルは「インカ帝国を作ったのは日本人だった」
本には、インカの人々は日本人の末裔だったと言う説が書かれていてる。聖なる湖チチカカ湖は、父(ちち)・母(はは)から取ったと言及。日本人が海を渡ったルートも記されていた。(ついでにヘブライ語のヘブとはチチ・ハハの父母(フボ)が語源だそうです。)
マティンガ村の100歳になるおばちゃんの話では、インカの暮らしを守り続けているマティンガ村に伝わる話に「太平洋の彼方からやってきた神様が王国を築いた後、いつか私は必ず戻ってくる。と言い残し再び海へ旅立った。」という話があります。
最近では科学的根拠に基づく研究もなされていて、人類移動は、アフリカ→ヨーロッパ→アジア→アラスカ→北米→南米ルートが定説でしだが、ペルーで見つかった約1000年前のミイラを調査したところ、体内に残された便から小腸に寄生するズビニ鉤虫を大量に発見しました。ズビニ鉤虫の卵は0度以下になると死滅する為、ベーリング海を渡ったとは考えにくいとしています。また2013年には、日本人に多い遺伝子型ハプログループ(染色体の異変の種類)と同じ遺伝子を持つ人が南米の沿岸部にだけ存在するという論文も発表されました。
(ウキペディア引用)